名前は覚えていないけど、
イメージが心に焼き付いている画家っていますよね。
石田徹也氏の場合もそうでした。
虚ろな眼差しをした青年が、
飛べない飛行機や学校の校舎と一体化したり、
足のついた車輪の形になったりしていて、
一度絵を見てしまうと立ち止まらずにはいられない。
現代社会に生きる僕達の心に潜む不安、
ある種の拘束感や閉塞感のようなものが、
独特のユーモアと共に表現されていて、
ついついイメージを細部まで凝視したくなってしまう。
そして悲哀のこもった共感を覚えるんです。
以前、本屋で彼の出版されたばかりの作品集を見つけ、
ほう、この作家もついに画集を出したか、と思い、
しばらくじっくり眺めたのですが、
だんだん重苦しく悲しい気分になってしまい、
少し間を置いてから買おうと思って棚に戻したんです。
その時、初めて石田徹也という名前を意識しました。
それから何年経過したでしょう。
昨日、ネット検索している時に偶然彼の絵を見つけ、
あ、そういえば最近どうしてるかな〜と思って、
少しググってみたんです。
そうしたら、2005年に亡くなっていました。
ええっ・・・と思い、さらに詳しく調べました。
僕が本屋で見たあの画集は彼の遺作集だったんです。
本にはきっとその説明も書かれていたはずですが、
強烈なイメージにばかり気を取られて妄想が膨らみ、
コピーはほとんど読んでいませんでした。
それから数時間ネット上を散策し、
様々なブログの記事を読みあさり、
石田徹也展実行委員会が運営するサイトのギャラリーで、
年代順に彼の作品を観ていきました。
すると、彼の表現者としての心の変遷が
そのまま作品のイメージ変化となっていて、
彼の生きる苦しみや悩みが伝わってきました。
初期から中期の作品にかけては、
デザイン的でメッセージ性が強く、
社会風刺や心の不安をユーモアで包んでいました。
重いテーマと軽さのある表現が絶妙にマッチし、
共感性の高い味のあるイラストになっています。
後期になるとユーモラスな感じは消えていき、
シリアスで内面的なイメージに変貌していきます。
人とモノが融合したような独特の表現スタイルは残りますが、
絵の描き込み密度はグンと上がり、
独特の透明感を持ったリアルで重厚な世界に変わります。
微細な筆で何度も何度も塗り重ねられたキャンバスは、
あの世とこの世の境界があいまいになるような、
不思議な光を放っているようです。
色彩のトーンは黒っぽさが強まり、吸い込まれそうになります。
奇妙にグロテスクだけど、美しいです。
一般の人に分かってもらおうという計算はなく、
ひたすら純粋に絵を描いているようです。
題名のついている作品も少なくなり、
イメージだけで表現しているものが多くなります。
自分の奥へ、奥へと踏み込んでいく、
そのヒリヒリとした感じにはもはやユーモアの余裕がなく、
命を削っているような痛々しさです。
絶筆となった絵は、制作途中だったようですが、
白い図版の上に空っぽの絵の具箱があり、
どこか遠くを見つめる青年の腕には青い血管が透けています。
背景には暗い森で何かを話している男性が二人。
何を話し合っているのか分かりません。
片方は自分なのでしょうか。
それにしても後期のイメージはすごいと感じます。
人によっては拒絶反応を示すかもしれませんが・・・
彼の、デザイン的なイラスト表現から
純粋アート的な表現への変遷、というか、
ひたすら自身の絵を探求しようとする経緯を見ていて、
非常に考えさせられるものがありました。
ありがとうございます、石田徹也さん。
僕の我がままな願望かもしれませんが、
あなたの5年後、10年後の絵を観てみたかったです。
心よりご冥福をお祈りいたします。
◇石田徹也展実行委員会の公式サイト◇ 石田徹也遺作集 絶筆となった彼の絵はこの記事で観ることができます。
◇ 石田徹也雑感 上と同じブログの記事ですが、絵の分析が興味深いです。
「子孫」という絵は、僕も非常に気になります。
ワニの口から出た恐竜のお腹から人間の赤ちゃんが現れ、
空虚な眼差しの「僕」の手を握っています。
これは相当深い、潜在意識から出たイメージのような気がします。
◇いづつやの文化記号: 驚愕の石田徹也展! その一◇いづつやの文化記号: 驚愕の石田徹也展! その二 石田徹也氏を現代アーティストとしてとらえ、
彼の絵画表現技術に関する考察をしています。
かなり大きな画像で絵を観ることができます。
◇YouTube - 石田徹也 【1】